空港からのお別れ電話

私の初の海外滞在が終わったのは、1996年10月でした。関西空港を発ち、チューリヒ空港に降り立ったのは前の年の3月下旬。それから1年以上の期間をベルナーオーバーラントの寄宿学校とチューリヒ郊外のホームステイ先で過ごし、最後の2ヶ月だけはフランクフルトの知人の家を訪ねました。

スイスの窓

期間中、途中で1度も帰国することなくよくやっていけたな、と今になって思います。

見ず知らずの国へひとりで飛び込んでいって、しかも、英語を使って現地の子どもたちに日本語や日本文化、英語まで教える・・・。日常生活では強烈なスイス方言に悩まされながらも、英語とドイツ語を必死に学んでいく、という3重苦ともいえる生活。

滞在中、たったひとりの日本人ボランティア講師という孤独な立場から、周囲に自分の気持ちがうまく伝わらずに何度も泣いたことがあります。

(なんでこんな所に来てしまったんだろう!アメリカやイギリスに普通に語学留学していたら、仲間といっしょに楽しく過ごせて英語もうまくなっていたのに)・・・何かあるたびに、そんなふうに自分自身を恨みました。

もちろん、スイスでボランティア教師をする、という選択が100%正しかったとは断言できません。私は日本語教師をめざしていたわけではなく、あんなに苦労して覚えたドイツ語も、帰国後は趣味でたしなむ程度に終わりましたから。

でも、ひとつだけ確実にいえることがあります。あの1年間のスイス滞在を終えた後、私は心身ともに、ひとまわりもふたまわりも大きく成長していたのです。英語では、スイスへ行く前に停滞していたTOEFLのスコアが劇的に伸びて600点を超え(旧TOEFLです)、同じく、以前は苦労していた就職活動も、とんとん拍子に進んで正社員の職を得ることができました。

とにかく、行く前と帰国した後とでは状況が一変していたのです。その大きな理由は、スイスでの滞在を通じて英語力が本当にアップしたということでしょう。でも、それだけではありません。全寮制インターナショナルスクールで日本語と日本文化を教えた、というユニークな体験とその苦労までもが、私に確かな自信を与えたのだと思います。

さらに、今まであたりまえと思っていたことでさえ、帰国後はありがたいと受け止めるようになったのです。

(あのときは、わずかなお金しか持っていなくて、食べ物も住む場所も、与えられたものでがまんするしかなかった。いくら働いてもボランティアだからお金はもらえなかった。それに比べたら、住み慣れた日本で暮らしながら自由に就職活動ができるって、なんて恵まれているんだろう!)

こういう前向きな気持ちで暮らすようになったからこそ、万事うまくいき出したのかもしれません。

帰国するときの状況は今でもよく覚えています。ドイツにいたので、フランクフルトの空港から全日空の飛行機に乗り込みました。出発前の待ち時間、ロビーを見渡すと、周囲には日本人観光客がたくさんいて、もう関空に帰って来たかのような和やかな雰囲気でした。

そのとき、何度もお世話になったスイスのホームステイ先のことがふと頭をよぎりました。寄宿学校にはきちんと挨拶をして出たものの、ホームステイ先には帰国の日時を正確には伝えていなかったからです。急な事情で予定が早まったために、事前に連絡する暇がなかったのです。そこで、私は思い立って空港の公衆電話から一家に電話をかけました。

電話がつながるとすぐ、ホームステイ先の奥さんの「ハロー!」というなつかしく元気な声が耳に飛び込んできました。私がわざわざフランクフルトの空港から電話してきたことをたいそう喜んでくれ、同時に、今から帰国すると聞いて驚いていました。

所持金が限られていたためたった5分ほどしか話せなかったものの、最後に彼女と言葉を交わしたことで私自身もほっとしました。電話を切った瞬間、長くて大変だったスイスでのインターン生活がこれで本当に終わったんだ、としみじみと実感したのです。

受話器を置いてから気がつくと、周囲の日本人観光客たちがぽかんとした様子で私のほうを見ていました。自分たちと同じ日本人が、いきなり電話をかけてドイツ語で話し出したのでびっくりしたのかもしれません。これにはなんだか気恥ずかしいような、でもちょっと誇らしいような複雑な気持ちになりました。

帰国して10年がたった今でも、スイスとドイツで過ごした1年半は、かけがえのない思い出として私の心の中で生き続けています。

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